偶然これを書く半月前に、私は香港を旅していた。電飾に彩られる高層ビル群のはざまに、都会の冷たい風が吹き荒む。高台からそんな街並みを眺めながら、都会に住む人間の寂しさは万国共通のものかもしれない、と私は感じていた。
虚栄という分厚いコートを身にまといながら、地位や名誉、目先の楽しみに、その身をさらし続ける主人公・ビンゴ。私は結婚前の自分を見ているようで、ちょっぴり恥ずかしかった。とは言えこの映画は、そんな都会人の孤独をも香港映画ならではの軽快なタッチで描いている。20代だった頃の私は、ビンゴと同じように健康も命も永続的なものだと、まったく疑うところを知らず、仕事に没頭していた。ところが、ビンゴはある日突然青天の霹靂とでも言うべく医師から乳がんを宣告される。自分と向かい合えず、現実逃避し手術を拒み続けるビンゴ。映画の中で私の胸に深く突き刺さった言葉があった。
「結婚して、子供を産んで、その頃なら、切ってもかまわなかったのに…」
私とビンゴの違いは、乳がん発覚の年齢とタイミングだ。私は子を生み育て、10年以上休んでいた仕事を再開した直後の乳がん宣告であった。しかしビンゴは、キャリアウーマンとしてバリバリと働き、まだ我が子に母乳を与える喜びを知る以前の女性である。同じ乳がんという病を患ったとしても、その年齢とタイミングによって受ける心のダメージは人によって大きく違い、ましてやビンゴのように結婚前であったとしたら、手術によって乳房を切除してしまう事の悲しみは計り知れない。女性にとって大切な乳房を切除するということは、これから訪れる未来を深く傷つけるのではないだろうか?と不安を抱くのも無理はない。
映画の中で手術を拒み続けるビンゴは、同じ体験を克服した女性のもとへと導かれる。手術して、治ってから子供を産んだ彼女の言葉には妙にリアルな説得力があった。「病気でも、ちゃんと向き合えば、幸せになれる」「自分の原点に戻った感じね」。
私は自分が乳がんという試練を与えられたことを、この女性と同じように前向きにとらえ、神様に感謝すらしている。乳がんにならなければ、私は偽りの自分のままでいたかもしれない。けれど、乳がんになったことで、″本当の自分らしさ″というものを、取り戻すことができたのだから。乳房に傷を残すことへのこだわりや執着よりも、不安を克服して、死を受け入れることによって与えられた新しい人生の方が、ずっと豊かで価値のあるものだと感じるから…。
手術台の上で、麻酔の深い眠りへと向かうビンゴの、虚栄のコートを脱ぎ捨てた清々しい微笑みは、きっと多くの女性を勇気づけてくれるに違いない。 |